人気ブログランキング |

言葉の意味そのものよりも…

e0184598_13245402.jpg
野生の野いちご。

小さな粒の中に、酸っぱさと甘さがぎゅぎゅっと詰まっていて、ひと粒で大満足。


気がつけば11月も後半になっていて、、、(曜日はわかるけど、日にちが未だにすぐ出てきません。ついでに平成何年かさえもわかりませんけど。)

でも、日々時間に追われることなく、わりとゆっくりと過ごしている今日この頃。

私にとって「ゆっくりと過ごしている」ということは、実は忙しくなる前兆だったりもするのです。

今のところ、そんな気配はないのだけど、もう何度もその経験をしているので、きっとそうなる予定。

だから蓄え時期の今は、次に起こることの準備運動のようなもの。

あ!次はこんなことやりたいなぁというアイデアが降ってきたり。

急に知人の顔が浮かんだら、迷わず連絡をとってみたり。

そうしたら、わぁ!ということに繋がったり。

そんなこんなしていたら、忙しくなるというプロセス進行中であります。


ブログのタイトルの話はどこいった?

って感じになってきたので、ここら辺で仕切り直し!

2008年に、わたしはカリフォルニアのヨガアシュラムで一ヶ月にわたるティーチャートレーニング(以下、TTC略)を受けました。

当時、アーサナクラスとバカヴァッドギーターのクラスを担当してくれていた先生が、わたしはひそかに敬愛していて。

ある日のギーターのクラスの時に起こったこと。

講義は英語で、その時は通訳してくれる人がいなかったので、ついていくのに必死だったこともあり、メモは取らずに先生が話す言葉に集中していました。

まっすぐと正面から先生の言葉を受けとめるように。

そんな中、ある瞬間、涙がぶわっと溢れ出てきたのです。

どんな内容のことを言っていたかは、その時でさえ覚えていなくて。

でも、記憶に残っていることといえば・・・

言葉の意味そのものよりも、音やエネルギーとしての声がわたしの心を動かしたのだと感じました。

それと同じ経験をしたのは、先月東京で開催されたHeart Gathering*主催のラーマヤーナ(※)朗読会サットサンの時でした。
(※ラーマヤーナとは、古代インドの神話叙事詩のこと)

そのとき物語の解説してくれていた、バンスリー奏者でもあるgumiくんは、このラーマヤーナを深く理解しながら、そこから献身の心や人生のダルマ(義務)、そして本当の愛について学び、実践している人。

以前にログしたのですが、その当日はわたし自身の声がほとんど出ない状況だったので、そのことに意識が向いていて、解説の内容がほとんど頭から抜けちゃう状態。

とはいえ、gumiくんの方にはちゃんと向いて、言葉を拾おうとしていました。

で、気がつけば涙していたわたし。

そう。物語に登場するハヌマーン神について語っているgumiくんのその姿や、言葉を通して伝わるエネルギーから、ハヌマーンへの献身愛を感じて、それに感動した涙でした。

申し訳ないほど、その内容はぼんやりとしか覚えていないのに…

わたしの場合、声から伝わってくる、その人の考えや感情、ひととなりがダイレクトに感じてしまうようで。

ぎゃくに
「あ、この人、本当はこんなこと思っていないのに適当に言っているな」
とか
「人に合わせているな」
って言うのもわかっちゃうのです。

そんなわけで、唄声も同じ。

声は嘘をつけないわけで、キレイな声だけでは響かないということを、いろいろな経験から感じつつ…

自分の唄の練習に課している日々です。
e0184598_18234126.jpg
ここは、TTCの講義で使っていた部屋。

仏陀にイエス・キリストに、クリシュナ。

宗教という垣根を超えた、ここの空間で、まさに涙したのでした。













トラックバックURL : https://miyuki77.exblog.jp/tb/26208941
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
by miyuki_om | 2017-11-21 20:56 | 祈りや精神世界のこと | Trackback | Comments(0)

瀬戸内の風が吹く、香川・高松に住みながら、唄とヨーガ、花編みともに旅するような暮らしを進行中。


by miyuki_om
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30